安息の場としてありたいカフェ

 Notice

臨時休業が明け、おかげさまで再開して1週間となりました。

体調不良による三週間もの長期休みということもあり、嬉しいことに快気祝いとしてお花をいただきました!

M様、ありがとうございます!

楽しい会話に没頭している中での、まさかのお祝いに少々驚きと嬉しさが思いの外強く湧いてしまい逆に上手く謝意が表現できていなかった様な、挙動がおかしかった気がします(^^;

想定していなかったことなのですが、お客様にことの他気にして頂いていた事がわかり、嬉しくもありこそばゆくもありなんとも言語化が難しい。。

カフェのお客様だけでなく不動産のお客様からもたくさんお電話いただき大変恐縮でございます。

とにかく謝意を皆様にお返ししたく感じております。

誠にありがとうございます!

中々これほど長期のお休みというのも取る機会はなく、様々なことを考えるよい機会にもなりました。

実はCafé e immobiliare をオープンしてから漠然と私の中にある(あった)違和感について、このお休みの期間、動けない期間が結構長かったものですから、なんだろう何が違うのだろう?という具合にそれこそ一日中考えに浸って過ごしておりました。

2月2日の再開のタイミングでは「何か見えてきたような気がする」というような状態で、答えはでておらず、気になって気になって仕方ないという心情でさらに思考は加速し続けていたと言えます。

しかし、この再開からの一週間で皆様の顔をみて、お話を伺い、お客様の過ごし方、表情を見ていく中で私自身の中の違和感の正体を捉える事ができたように思います。

とくに何かが変わるわけではないのですが、うまく言語化して是非皆さまに共有していきたいお店としてのスタイルの話です。

漠然としたお店の雰囲気をイメージして運営してきたCafé e immobiliare ですが、私の中では何か歯車があっていない様な不一致感があり、それがなんなのかがわからなかったのです。

それはこんな自身への問いかけから始まりました。

私はなぜ喫茶店が好きなのだろう?

私はコーヒーをよく飲む者ですが、一日の(いや年間の)飲み物から摂る水分補給の99.9%以上がコーヒーなので、既に好きという感覚がありません。

そのため、喫茶店が好きな理由がコーヒーなのか?と考えると注文するものがコーヒーというだけで、喫茶店が好きな理由ではないように思います。

私は外出する際には、喫茶店をまず最初に必ず探しますし、みつければその外出中に最低でも一回は利用します。

なぜこの習性が身についてしまったのか記憶を辿りますと最初は単純なる休憩だった様に思います。

何が食事処とは異なるか?と考えると喫茶店ならではの過ごし方ではないかと気付いたのです。

喫茶店、カフェ(食事どころでないカフェ)での私の特徴的な過ごし方は、休息でした。

休息とは「していた事をやめて、心身を休めること」

無論休憩所として体を休める役割も果たしていますが、私の場合は少しぼ〜と頭を休めることを好んでいたのだと思い至りました。

外出先での喫茶店では、仕事の移動中が多いわけですが、次の商談のことをさっとまとめ、そして頭を休めるという利用の仕方。

これが私が喫茶店を高頻度で利用する一つの動機なのだなってわかりました。

そして岩槻区に来る前の話になりますが職場や家の近くの喫茶店への高頻度利用は、「この頭を休める」に加え顔見知りやスタッフさんとの穏やかな近況報告や雑談。

そこに行けば気にかけてくれてる人がいる、安心感でしょうか。

この二つが特に大きな喫茶店好きな理由だと至りました。

誰か知り合いや友達、時に商談で使うことも勿論しましたが、9割は一人での利用だったのは頭を休めることもできるし、時には会話をもって心の休息ともなる場。

喫茶店が好きなのはその「空間」と「人」だったのです。

私はCafé e immobiliare をお客様が過ごしやすい上質な空間を作ろうと考えて取り組んできましたが、漠然とした「空間」のイメージが先行して自分が好きな喫茶店の空間になっていたかというとおそらくそれがズレていたのだと感じました。

何度かお客様に頂いたお言葉が頭をよぎります。なぜか焦燥感を抱いてしまう言葉でした。

「今日はコーヒーだけなのだけどいい?」

このお言葉は、商品が全てなお店として認識されてしまっているのではないか?これが私の中に生まれた焦燥感の正体だと気づいたのです。

喫茶店として、利用の動機が食事やデザートといった物だけになってしまっていることへの足りなさを感じます。

利便性、店として提供できる商品として、食事やデザート、コーヒーなどをご用意はしておりますが、Café e immobiliare がここに在る、存在理由、必要とされるお店となるには私はここではないと考えます。

当店でもお出しする商品は少しでも美味しくあろうと無論精進を続けますが、美味しい食事は、デザートはどこにでもあります。

ただ美味しいだけならば、当店である必要はありません。三つ星レストランのシェフやパティシエさんのお店ができた方が万倍も良いでしょう。

当店、私が取り組むべきは上質な空間=ほっとする空間・そこに居たくなる空間としてのお店のあり方。

そして、必要とあらばお客様の心に寄り添える自分でいたい。お客様の和をつなげるお店。顔を出したいお店になる。

そう決意を新たに取り組みたく考えております。

タイトルにもさせて頂きましたがしっくり感がありましたので「安息の場としてありたいカフェ」目指したいと思います。

安息とは「何の心配・苦痛もなく静かに休むこと。」

心配は人により緩和、時に解消させることができる場合があります。苦痛は酷いものだと心までも苦しめます。

皆様が私を心配してくれた様に、私も皆様をいつも気にしています。

また、明日より宜しくお願い致します!


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